ただいま伊香保温泉に来て、この原稿を書いています。
伊香保温泉にて毎夏ショーをさせていただいています。2004年からになるので、もう8回目の伊香保で過ごす夏となります。外では蝉が鳴いていて、石段街は休暇をたのしむひとたちであふれています。時折窓から入ってくる風には涼を含んでいて、暑さの中に心地よさを感じます。
今回は私が「プロ」となり、「大道芸人」から「ジャグリングが職業」と意識するようになった2004年前後数年のことを通して、「プロジャグラーになる」ということを考えてみたいと思います。
私が「プロ」を意識したのは、2002年のことです。
この年は東京都が文化政策として「ヘブンアーティスト事業」を打ち出した年でもあります。
私がプロとしての道を歩むのに「ヘブンアーティスト」の存在は大きなものでありましたが、まずは「ヘブンアーティスト」前からはじめましょう。
私は東京大学大学院総合文化研究科博士課程にて、複雑系をテーマとして研究室に籍を置く学生でした。とはいっても、ジャグリング(と酒)に置いている比重が大きかったので、まわりからは浮いた存在であったことは確かでしょう。(今冷静に当時のことを思い出すと赤面する他ない。)
当時「大学院重点化」によって、大学院に在籍する学生数は増加していましたが、かといってアカデミックなポストが増えたわけではありません。
学位をとっても職の保証がない、という閉塞感を感じる状況と書くといかにも悩める院生ですが、前述したように、そのようなことを書くのはおこがましいにも程がある、学生の本分を全うせずにいる生活を私は送っていた訳ですが。それでも「この先、どうするか。」という問いは日に日にのしかかってくる重圧あったことは確かです。
「自分の腕で生きたい」
というのは、かねてからの希望でした。
ですから、ここで心を入れ替えて学問の世界に没頭するか、あるいは、手元にある唯一といってよい技術であるジャグリングを頼りに生きて行くか。二者の選択の狭間で悩む日々が続きました。
その頃私は「小平ジャグリング倶楽部」というジャグリングクラブを立ち上げ、そこを中心に活動していました。
活動の中には地元を中心としたパフォーマンス活動も含まれます。幸いとても好評で、ジャグリングを通して笑顔をプレゼントできるんだ、という強い手応えを感じていました。結局、そこで感じたことたちが、進路を決定するのに、大きな後押しとなりました。
「ひとが笑顔になることを仕事にしたい。」
これがジャグリングを職業として選んだ理由です。
では、今通っている大学院をどうするか。
博士号を取り卒業してからプロに転向するか。あるいは、すぐにプロとして活動を始めるか。
この数年前に、私は「デビルスティック大全」というジャグリングの教則本を著わしていました。
そんなこともあって、当時、私をデビルスティックの第一人者と評価してくださる方も少なからずいました。さらに言うと、デビルスティックを極めたようなプロパフォーマーは皆無でした。
これは自分にとってアドバンテージです。
しかし、アマチュアジャグリングの状況をちょっとみてみれば自明なのですが、数年すれば、自分以上の技術を持ったジャグラーがプロを目指し、実際にプロとして活動するでしょう。(実際そうなりました。)
そのときにプロ活動を開始したのでは遅い。その前に自分のプロとしての存在を、存分にアピールしておかねば、今のアドバンテージは活かせない。
そう考えた私は、大学院を休学し、プロパフォーマーとしての活動を開始しました。(すぐに退学しなかったのは、プロとしての道を順調に歩めなかった場合を心配してくれた指導教授の温情のためです。今でも感謝しています。)
プロの道を歩む後押しになったことがもうひとつあります。先に少し説明しました「ヘブンアーティスト」制度です。自分がどこで活動して行くのか。活動の場があるのか。
プロになろう!と思っても、実は大道芸くらいしか、私は活躍の場を知りませんでした。
しかしながら、道路交通法を尻目にして警察官と戦いつつ大道芸をして行くというのは、道徳的な問題としてではなく、チキンハートな自分には向いていない選択肢でした。
ですから、東京都が大道芸の許可証を発行してくれる、というのは、自分にとって追い風です。ヘブンアーティストを取得し、上野公園等で活動する中で、公演の依頼をいただく機会も格段に増えました。
しかし、今から考えると、ヘブンアーティストライセンスを取得できたことは、単に大道芸ができ、仕事も増えた!という意味以上のこととなりました。
ヘブンアーティストの活動を通して、たくさんの大道芸フェスティバルに出演する機会を得ました。それは夢のような時間たちで、現在ジャグラーとして活動して行く原点になっています。
刺激を受ければ、考えることも多くなります。自分がやりたいことは何だろう、と自問することが増えました。
ジャグリングがすきだ。
しかし、ジャグリングをみる場というのは少ない。
ジャグリングの魅力をもっと知ってもらいたい。
自分がそうであったように、ジャグリングを仕事にしようとすると、まず大道芸、というのが多くのケースだけれど、果たしてそれでよいのか。他に可能性はないのか。
日本のジャグリングの技術はどんどん向上している。それをもっと知ってもらうにはどうすればよいだろうか。
はじめはものすごく漠然とした思いでしたが、それらが日に日に強くなり、ひとつの行動となって形になりました。
ジャグリングの舞台制作。「堀の外のジャグリング」という、商業的な色合いを出したジャグリングオムニバス公演を企画しました。
この企画にはいつも交流をしてくれているたくさんのパフォーマー、スタッフが協力してくれました。
そして、いつも自分の活動を応援してくれている方々もたくさん足を運んでくださいました。
今思うと、自分の思いばかりが先走った舞台でしたが、この第一歩をきっかけにして、毎年1本から2本のジャグリング舞台公演の企画制作を続け、それが今なお発展し続いています。
舞台制作は数をこなしても、自分ひとりではできないことばかりで、まわりの方に支えられてひとつひとつ積み重ねています。
まわりの方に支えられてというのは舞台制作だけに限りません。
いつも刺激をくれる同僚、ショーをすれば足を運んでくれる方々、写真や動画として記録をいつも残して下さる方々、自分の思いつきを形にするために笑顔で助力してくれる方々。たくさんの方のサポートがあって「ジャグリングで社会をたのしくする」という私のビジョンは少しずつ進展しています。
実は「プロジャグラー」になること事態は簡単です。自分で看板を掲げてしまえば、プロジャグラーになれます。
ただし、プロジャグラーとして生計を立て、活動を続けて行くのは決して容易ではありません。私の活動という極めて特殊な例から「プロとして在り続ける」ためのエッセンスを抽出するならば、以下のようなことになるでしょうか。
・プロとして自分の強みがどこにあるのか意識し、それが最大限発揮されるように活動しよう。
・プロジャグラーとして自分はどんなフィールドで活躍したいのか、目標を明確にしよう。
・未来はどんな情勢になっているのか、分析をした上で、活動の指針を立てよう。
・仲間や応援してくれる方々がいてこそのプロ活動あることを忘れずに。
私の場合「プロジャグラーになる」ということは、「ジャグリングと社会との接点をつくって行く」という意識の芽生えと同義でした。
実際には「プロジャグラーになる方法」は十人十色でしょうし、活動の方向性によって、抽出されるエッセンスもべつのものになるでしょう。
次回の本コラムでは、私とは違うタイプの活動をしているプロジャグラーの例を挙げて、「プロジャグラーになる方法」を掘り下げます。
※東京都ヘブンアーティスト
2002年に東京都の石原慎太郎都知事により創設された、大道芸人公認制度のことで、オーディションを経てライセンスを取得した芸人のみが指定場所での大道芸を許可される。
現在、大道芸界では知らないものはおらず、ある意味ステータスとなっている。
同様の制度が大阪名古屋にも広まり、いわば「プロ大道芸人免許」という一面もある。
ハードパンチャーしんのすけ
プロジャグラー。日本のデビルスティックのパイオニアとして、エンターテイナー、インストラクター、